車いすテニスプレーヤー小田凱人(ときと)選手、競技を始めた理由は”国枝慎吾”の存在。

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スポーツ

小田凱人(おだ・ときと)選手は日本のプロ車いすテニス選手です。

現在、世界ランキング2位と世界で活躍しています。

パリで開催されるパラリンピックで金メダル獲得が期待されています。

そんな小田選手ですが、車いすテニスを始めた理由は何でしょうか?

今回は、小田選手が競技を始めた理由を調査します。

小田選手の経歴

小田 凱人、18歳。身長175cm。愛知県出身。

9歳(小学3年生)のときに左足に骨肉腫(骨にできるがん)を発症。

9か月の闘病生活の末、退院後すぐに車いすテニスを開始。

史上最年少の14歳11ヵ月でジュニア世界ランキング1位に輝きました。

16歳で初めてグランドスラムに出場し、世界ツアー最終戦であるマスターズで優勝し、数々の偉業を成し遂げています。

2022年4月にはプロへ転向しています。

車いすテニスを始めた理由

小学生の頃はサッカー少年だった小田選手。

当時はプロのサッカー選手を目指していました。

しかし、9歳の時に骨肉腫を発症。

つらい抗がん剤治療を経て左の股関節と大腿骨の一部を切除し、人工関節に置き換える手術を行っています。

このため車いす生活を余儀なくされ、サッカー選手の夢も断念せざるを得ませんでした。

しかし、大好きなサッカーができなくなっても、スポーツへの情熱が消えることはありませんでした。

ある日、転機が訪れました。

2012年のロンドンパラリンピックの車いす競技に出場する国枝慎吾選手のプレーをテレビで見た際に、大きな感動を覚えました。

また、入院中に主治医の先生からパラスポーツを紹介してもらったこともあり、車いすテニスに心を動かされ競技を始めることを決意しました。

かしこ
かしこ

動画サイトで見た車いすテニスに
直感で「ビビっときた」そうです。

国枝選手の存在が光となった小田選手。

車いすテニスを早く始めたい一心で、懸命にリハビリに取り組みました。

退院後に関係先を当たり練習場所を教えてもらい、本格的に車いすテニスに取り組み始めました。

10歳から車いすテニスを始め、新たな夢に向かってがむしゃらに進みました。

しかしその後、2度にわたりがんの肺転移が発覚。

不安と恐怖に圧倒されそうになりました。

しかし、国枝選手へのあこがれが消えることはなく、過酷な治療を乗り越えました。

その努力が実り、わずか8年で世界の頂点に立っています。

車いすテニスの魅力

車いすテニスは、競技用の特殊な車いすに乗ってプレーをします。

素早いチェア操作で自由自在に車いすを操り、強力なショットを打ち込みます。

ショットやチェア操作の迫力のある音やラリーのスピード感、取れないと思ったボールが取れたときの驚きなどたくさんの見どころがあります。

基本的にはルールもコートの大きさも一般のテニスと同じです。

ただし、一般のテニスでは1バウンド以内で返球しないといけないのに対して、車いすテニスでは2バウンド以内での返球が認められていることが通常のテニスとは異なります。

目標は”国枝慎吾”に勝利すること

引用元:https://x.com/news_postseven/status/1827472815655944687

プロ車いすテニスの”絶対王者 国枝慎吾”選手。

テニスを始めた頃は、フォームやトスの付き方等すべてを国枝選手を見本にしていました。

当時のYouTubeにあった国枝選手の動画は全部見たそうです。

あこがれの国枝選手との対戦回数は4回。

2人の最終戦は、2022年10月、楽天・ジャパン・オープン・車いすテニス・チャンピオンシップスの決勝。

国枝選手に食らいついた小田選手は、ファイナルセットで逆転しました。

しかし、最後は力及ばず国枝選手に軍配が上がりました。

結果的にこの試合が二人の最後の対戦となりました。

国枝選手に一度も勝つことがなかった小田選手。

そのまま、2023年1月に国枝選手が引退を発表。

小田選手はかなりショックを受けたそうです。

国枝選手としては、パリのパラリンピックまで続けていくものと思っていたそうです。

国枝選手に勝つことが小田選手にとっての目標であったため、引退を知った時は愕然としています。

でも小田選手は、「国枝さんに勝っていたらかなり満足しちゃっていたと思うので、どっちがよかったのかはわからない」と答えています。

小田選手にとって、忘れられない試合となったことでしょう。

名前の由来はパリのシンボル”凱旋門”

名前の「凱人(ときと)」は、凱旋(がいせん)門の「凱」の字を名前に持つ小田選手。

凱という字の一つの意味は、”勝ちどき”。

小田選手は名前の通り、凱旋門のあるパリの全仏オープンで男子シングルスを制しています。

17歳1カ月での優勝は、四大大会の同種目で史上最年少の成績です。

2024年は凱旋門があるパリにてパラリンピックが開催されます。

2024年8月の会見では「自分の大会だと思ってやりたい」と意気込んでいる小田選手。

かしこ
かしこ

パリには何かの縁がありそうですね

まとめ

以上、小田選手の車いすテニスを始めた理由について調査しました。

車いすテニスを始めた理由

  • 国枝慎吾の映像を見てビビットきた
  • 主治医に勧められた

金メダルを胸に、凱旋できることを期待します。

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